アリゾナ州を含むフォーコーナーズ地域を、祖先たちは数千年にわたって移住をくりかえし、現在の場所に約千年前に定住したとされる。高原砂漠地帯の標高約1,800mのメサと呼ばれる台地の上に12の村がある。人口約1,000人。定住農耕の暮らし方をするアメリカ南西部のインディアンを、プエブロインディアンと呼び、ホピもその分類に属している。
創造主から「大地を世話する者」として植え付けられたと信じられ、創造主と交わした約束と教えを守り、農耕と、1年を通して執り行われる儀式が暮らしの中心である。目に見えぬ存在と交流し、大地といのち、宇宙との均衡、調和を祈り続けてきた。完全な自然農法で見事に育て上げたトウモロコシを主食としている。他の部族と同様に母系制で、土地、家、財産は女性に属する。
近年、ウランや石炭などの採掘による聖地の破壊と強制移住、また合衆国政府の文化・政治的介入による影響は、この砂漠に住むホピにも避けがたいものとなっている。広島・長崎に原爆が投下されたことを契機として、現代物質文明に警鐘を鳴らした「ホピの予言」は日本とのつながりも大きい。厳しい自然環境での暮らしと信仰は、彼らのアートセンスを宇宙的、精神的なものに高めており、銀細工や陶器は世界にも紹介され、文化理解と経済の一端を担っている。
ホピとは、平和に満ちている、という意味であり、
平和に満ちた人、新設、穏やかさ、寛容、誠実、謙虚、
そして、祈りに満ちているということを意味している。
それは、私たちホピが生きてきた平和に満ちた生き方であり、
今日維持していこうとしている生き方である。
そして、それは、すべての人びとが、すべての場所において探し求めている
平和に満ちた生き方である。
デヴィット・マニャンギ(~1988,101歳) ホテヴィラ村 宗教指導者
ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラドの4つの州が交わるフォーコーナーズ地域は、ホピにとって、祖先が移住した痕跡を残す聖域だ。「グランドサークル」と呼ばれ、国立公園が最も集中しており、地球の創世を感じさせてくれるワイルドな地域でもある。隆起と浸食によって、10億年前から6万5千年前の地層が見られる高原砂漠地帯。
東からファースト・メサ(第一メサ)、セカンド・メサ(第二メサ)、サード・メサ(第三メサ)のテーブル上 の台地の上とその麓に、11の村を形成し、さらに、西へ約70km、ぽつんと離れたモエンコピ村がある。
ホピが信仰する、宇宙万物に宿る目に見えない精霊。動植物、天体、気象のほか、神々や、神話的英雄であったり、また祖先の霊であったりする。その数は300種類にも上る。冬至(ソヤル)に、聖山サンフランシスコピークスから村に降りてきて、夏至(ニーマン)まで村に棲むといわれる。人々が偉大なる精霊マーサウとの約束を守り、良きこころで暮らすように見守り、豊穣とすべての均衡が保たれるよう助けると信じられている。仮面と衣装を着け、カチーナとなって村のプラザ(広場)で踊るカチーナ・ダンスが、季節の移り変わりに応じて、規則正しく執り行われる。カチーナの存在なくしては、ホピの社会は成立しないほど、深くつながりあっている。
人類の祖先たちは、前の世界が浄化され、地下で生き延びた者たちが葦をつたって、今の世界へ上ってきたと、ホピによって信じられている。今でも、その穴がグランド・キャニオンの底を流れるコロラド川支流の川岸にあり、聖なる場所として、今も祈りが捧げられている。
さて、祖先たちは、創造主であるグレイト・スピリットと初めて出会った。ホピの言葉で、マーサウと呼ばれ、創造主の化身、あるいは使いとみなされている。マーサウは、暮らすのにふさわしい場所を見つけるために、それぞれ違う方向へ旅をするように祖先たちに言われた。この時、マーサウは旅を続けるために、様々な色のトウモロコシを先祖たちの前に置いて、選ぶように言われた。みなは、先を争うようにして、トウモロコシを選び取ったが、最後に残った見栄えのよくないトウモロコシを拾い上げた謙虚な者に、マーサウは「ホピ」という名前を授けた。ホピとは、単に「平和である」というだけではなく、マーサウの教えを信頼して従うことも意味している。さらに、世の中の流れや、権力、そして生き方を堕落させる様々な誘惑や力に、自らを委ねない、という意味も併せ持っている。
そして、マーサウは「ホピ」と名づけた彼らに、聖なる石板をいくつか授けた。そこには、正しい生き方をし、平和に暮らすために従うべき法が刻まれていた。
そうして、ホピの先祖たちは長い間かけて旅をし、現在のホピの場所の近くまでやってきた。しかし、その一族を率いてきた偉大な酋長は、ここで大きな過ちを犯し、いのちを落とした。酋長の息子である双子の兄弟は嘆き悲しんだが、指導者を引き継ぐこととなった。兄の方は、聖なる石板をひとつ携えて、太陽の昇る東の果てに向かったが、弟の助けを呼ぶ声が聞えたら、一族のもとに戻らねばならなかった。弟は残り、マーサウを捜して、一族を率いて再び旅を続けた。こうして双子の弟に従った人々は、オライビという「地球が固まる」と意味される場所の近くで、マーサウと出会うことになった。マーサウは、その場所に最初にたどり着く者たちを待っていたのだ。
マーサウは、彼らに土地を与え、土地の世話の仕方を教えた。そして、正しく生きるための具体的な道筋を示し、一族は、マーサウと約束を交わした。人々は、一族の指導者になってくれるよう、マーサウに頼んだが、マーサウは人々の中に欲望があることを見てとり、姿を消した。その後、ホピは、マーサウとの約束を守り、長い間平和な暮らしが続いた。大地と交わって農作物を育て、自然と宇宙のサイクルに従い、世界のバランスを保つために、宗教儀式を執り行い、祈りを捧げることを暮らしとした。
もし、ホピが創造主との約束を破るようなことになれば、世界はバランスを失い、地球のサイクルは狂い、自然が猛威をふるうようになるだろうと、教えられていた。人々に堕落の影が忍び寄り、争いごとや戦争が起こるだろうと。そうなった時、いのちが永遠に続く清浄な次の世界に移行するためには、真っ先にホピ自身が浄化されなければならないと教えられていた。伝統派ホピ長老や精神的指導者たちは、西洋物質文明がホピの地にも押し寄せる中で、創造主から授かった掟を唯一の法と定め、マーサウと交わした約束を守り通すことを信条とした。そして、そのホピの精神と生き方を明け渡そうとしなかった。
やがて、マーサウから授かった予言と警告が次々と実現することを見て、「浄化の日」が近づいていることを悟った。それは、太陽の昇る東へ向かった双子の兄である「本当の白い兄弟」が帰ってきて弟を助け、「浄化の日」をホピにもたらす日が近いことを意味していた。マーサウの教えを信じ、伝統を重んじる者たちは、一族が教えを忘れることがないよう、授かった石板に刻まれている一部の絵を、村のはずれの大きな岩に刻んだ。今では、「予言の岩(絵)」と呼ばれている。
人類が「浄化の日」をくぐり抜け、この大地が次世代の子どもたちへと引き継がれ、生命の環が調和のうちに巡り続ける、という望みを決して失わず、最後まで創造主との約束に従おうとした者たちが、新しい村を創設した。サード・メサのホテヴィラ村である。1906年のことだ。
ホピには、先祖から口承によって語り伝えられた教えがあり、それは、グレイト・スピリット(偉大なる精霊)から授けられた。語るには何日もかかる教えには、本来の生き方への教示とともに、今後起こるだろう事、人類への警告が示されている。
その中で、これまで3回(あるいは4回)世界が浄化されてきたパターンが言い伝えられており、人類がこのまま自然の掟に従わず、大地といのちへの尊敬と感謝を忘れるようになれば、再び「偉大なる浄化の日」を迎えるだろうことを、ホピは教えられてきた。彼らの祈りは、地球の調和とバランスを保つことにある。
それらは「ホピの予言」として知られているが、氏族やメサによってその詳細は違っており、現在、外の世界で知られている内容は、おおよそ、ホテヴィラ村の伝統派長老と宗教指導者によって語り継がれた内容に沿っていると考えられる。1948年、ホピの予言を世界に伝えるスポークスマンに選ばれた、ニュー・オライビ(キコツモヴィ)村のトーマス・バニヤッカ氏(Thomas Banyacya 1999没)は、ホテヴィラ村伝統派長老の通訳詞であった。
ホピは古代からその歴史上、いかなる外国とも協定も条約も交わしたことがなく、土地を譲り渡したり、主権を外国に譲り渡したこともない、自治独立の国だ。中でも、サード・メサにあるホテヴィラ村は、ホピの予言の成就を目的として1906年に創設されて以来、アメリカという外国からの侵略に抵抗し、自治独立を掲げるホピ伝統派の最も強靭なスピリットの象徴となってきた。その精神は非暴力不服従にあり、「伝統派最後の砦」と称されている。
古来ホピは、中央集権的な組織を持たず、メサや村ごとの独自性を保ちながら、それぞれ自治独立村として存在してきた。しかし、1936年、時のアメリカ合衆国大統領ルーズベルトは、アメリカインディアン再編法を策定し、ホピの中に、合衆国政府のコントロールによる部族政府(Tribal Council)を設立させた。部族評議会、部族議会とも呼ばれる。その設立に伴う選挙は違法で、しかも、大多数のホピは「選挙」という方法や考え方を理解せず、受け入れなかった。
しかし、その設立以来今日まで、ホピの伝統的な生活様式と信仰へ介入し、さらに聖地をも破壊しようとするアメリカ政府のプロジェクトや都合のよい法律を、ホピが受け入れざるを得ないように画策し先導する役目を担ってきた。アメリカ内務省に設置されたBIA(インディアン局)が、現在も部族政府を管理下においている。
さあ、あなたの国ですよ、と目の前に出されたものは、
わしらの土地といのちを搾取し続けている
ホピ部族政府とよばれているものだ。
わしらホピは、独立したひとつのクニなのだ。
わしらは、アメリカ政府やどんな国の政府とも、決して条約など結んだことはない。
ホピは、自ら独自の権限と指導権をもっている。
しかし、部族政府とよばれるものは、このことを認めないだろう。
けれども、もし、そうでなかったならば、
闘うことなく、法律によるものでもなく、他国の権限によるものでもなく、
どうやってわしらはここまで生きのびてこれたのだろうか。
考えてみるがいい。
デヴィット・マニャンギ(~1986、101歳)ホテヴィラ村 宗教指導者
私たちが「国」という言葉によって理解しイメージするのは、おおよそ「近代国家」のことかもしれない。それは、国境・国民・政府・法律によって定義される。
しかし、インディアンは「国境」などの概念はなく、また、彼らにとっての唯一の「法」は、自然の掟であり、偉大なる精霊との契約であり、授かった教えだ。「国家」に等しい自治権と、生活圏、文化圏が一致している部族は、自らを「Nation(国)」と名乗る。それは、けっして、近代国家を意味するものではない。
日本語翻訳の場合、訳者によって、「国」に「くに」とルビを付けたり、また「クニ」とカタカナで表記することによって、使い分けをしていることが多い。伝統派ホピは、独立自治「ホピ国」として、自らのパスポートを作成し、ヨーロッパや日本に渡航している。
「インディアン」という呼び方は、コロンブスがアメリカ大陸をインド大陸と間違え、先住者を「インディアン(インド人)」としたという説が定説となってきた。しかし現在は、スペイン語の「丸裸」「貧しい」「困窮者」を意味する「インディヘンテ」から派生した呼称と考えられている。北米先住民全般を指すが、彼ら自身は、総称としての「インディアン」としての扱いではなく、固有の部族としての誇りを忘れることはけしてなく、自らの部族名を名乗る。
また、「ネイティブ」とは、「先住の」「土着の」「本来の」などという意味だが、文脈などによって「先住民」や、あるいは「ネイティブ・アメリカン」を意味している。
「ネイティブ・アメリカン」は、ハワイ諸島も含むアメリカ合衆国内の先住民全般を指している。60年代に入って、文化人類学者によって造語され、BIA(インディアン局)が用い出したが、インディアンたちは「アメリカ建国前から祖先たちはここに住んできた」と一斉に反発した。今や、「インディアン」は差別用語となり、「先住民族」という言葉に置き換えられた。
しかし、彼ら自身は、500年以上にわたる白人によるジェノサイトにも屈せず、生き延びてきたことに胸を張り、時として、自らを「インディアン」と呼んではばからない。