ホピ族トミーの話

15日未明に成田から戻り着き、そのまま16時間眠り続けた。もし、「タカ金」なければ翌朝まで眠っただろうな。
今日から時差も少し戻ってきたかな。

さて、いちおう最後の旅のリポート。書き切れないから、また小出しにするかもしれないけど。

ホピ2017(岩絵)
▲朝10時頃、ちょうど線刻の陰影具合がよい陽の光となった。
ホピ2017(岩絵)
▲予言の岩絵近く。人の横顔に見える。はじめて気づいた。
ホピ2017(岩絵)
▲これ、なんだろう?カタツムリ?え?

ホピを離れる前の日、健康を取り戻しつつあるトミーがこんなことを話してくれた。

「親父(ホピ伝統派通訳師だった故トーマス・バニヤッカ)たちが、さかんにホピ部族政府に対立していた頃は、ちょうど、インディアン政策が非常に厳しい状況になった時代だった。

全米のインディアンたちが、この法案に抗議して立ち上がり、インディアンムーブメントに火がついた時代でもあった。(註 1978年ロンゲストウオークはこの時代背景の中で行われた)

それは、インディアンカルチャーをインディアン自身が取り戻す動きでもあり、同じような動きは世界中でも起こった。それは、ひいては、押し寄せてくる西洋文明文明化、資本主義経済、その価値観の行き着く先を予見し、警告するものだった。

時代が流れて、ホピ部族政府のメンバーも世代が変わり、かつて彼らの親や祖父母が対立してきた伝統派が語ってきた教えを、そのまま踏襲しようとしている。
また、ホピ全体の傾向として、自分たちの本来のカルチャー、生き方に戻ろうとする者たちが現れている。

キコツモビ村のダンスには、長い間、数十人しか集まらなかったのが、このところは、300人ぐらいの人々が集まるようになっている。人が戻り始めてるんだ!

(君もホピに注目してるけど)この土地だけが特別な聖なるものではない。すべての存在が聖なるものなんだよ、そうだろ。われわれホピはこの土地に住み続け、この土地の自然環境と結びつき、一年中セレモニーを欠かさず、平和に生きようとする姿は、すべての者にとって手本としてもらえばいい。

そして、それぞれ、本来、生まれついた大地での、自分たち自身の生き方に目覚めてほしい。そう思ってるんだ。」

「ホピは他から助けてもらうほど弱くはないよ」
そうも言ったトミー。ただ、ただ、寂れ古びていくように見えるホピの村だけど、どうあろうと、彼らはここで営みを続けていくに違いない。

私にとっても思い出のたくさんつまった部屋。冷えるからと、トミーは夜中に何度か石炭ストーブに石炭をくべにきてくれた。おかげで、寝袋であったかく夜を過ごすことができた。

ありがとう、トミー。今回はよく話が聞けてよかった。今度は、また元気になっててちょうだいね。

ホピ2017
▲石炭ストーブは一日中ついている。
ホピ2017
▲黒いダイヤモンドとよばれる石炭。ブラックメサまで取りに行けばよい。
ホピ2017
▲このユッカの葉を裂き、染めてバスケットを編む。
ホピ2017
▲16日間お世話になったレンタカー。途中、人数が増えるかも、と期待して、ミドルカーを頼んだが、後半は一人で乗り回す!!長距離運転も楽で、アリゾナにはぴったりで助かった〜。ありがとう、お世話になったね!