八重桜もほぼ散って、連休中の人の賑わいから、静かなる新緑の眩しさへ。今日は憲法記念日だけど、集会にも出ず、山ですごしている。
休日前に、繋ぎ直せた沢からのお水は、なんと、止まっていた。なんらかの理由で、沢からの700m引いた黒パイプの、どこかに空気溜まりができた可能性がいちばん高い。ビーサンで山にも分入る若い衆が、入れ替わり立ち代り点検してくれたけれど、やはり、水は来ない。私も案内でどれほど山道を上り下りしたことでしょうか。
致し方なく、上の空き家になったお家からもらい水して、キャンプのような数日を過ごしている。客人たちも、わいわい楽しんでくれたみたいでありがたい!
そうか、以前から考えていた、沢からではなく、山の湧き水をいただく時期がきたのかもしれない、とふと。かつて山は賑わい、どんな山の中の一軒家でも、それぞれに水源を確保していた。この家の湧き水は植林で細くなり、今は頼ることができなくなっている。それゆえに、太一さんは、ひとやま越えた沢から、苦労して水を引いた。だから、山の家で過ごすことができる。水はなくてはならないから。
先人たちは、ともかくも、いのちの水を確保し暮らしてきた。
家の中では、いつから掛かっていたか知れない布を「べりっ」と外してみた。すると、元の木造りの引戸や仏壇らしきスペースが現れた。その「べりっ」という音と破る感触に、新しいステージが始まるのだと、そのページをめくる潔よさを、思いがけず感じていた。
太一くんが描いた弁天さまの絵。額のガラスを拭き、カビになったところに風を通し、掛け直してみた。すこし離れて見てみると、なんだかぴかぴかと光っている。うん、弁天さまの出番か!そこへ、昨日、秩父から上がってきたあっちゃんは、分厚い「名草戸畔(なぐさとべ)」の本を持ってきたではないか!
この山の家、いったんあきらめたけれど、何代もの先人が、手と足とシンプルな道具と、培われた知恵や技でもって拓き、維持してきたこの山の家。引き継がせていただける時がきたような。
木や草や、虫や動物たちに少し譲ってもらったり、押したり引いたりしながら、星月太陽の巡りと四季の移り変わりを肌身で感じ、沢から上がってくる霧、間近に迫る雷に、自然という営みに直接触れるのに、遅いことなど何もない。先人の暮らしを辿ることで、寝ぼけていたネイティブスピリットもむくむく蘇えり、それこそ、時代の意識に求められていることかもしれない。
「現代物質文明」は臨界点に達しようとしている。力と力、お金や経済の優先による関係性の駆け引きの上に、あまりに危うく成り立っているいまの文明。大地やいのちの犠牲に成り立たせてきた暮らし方は、もうあてどなどないところにきている。
すべてのいのちが聖なるものであるという、おそらく、すべての私たちにある、その記憶を蘇らせるのは、天地と交わる暮らしにあるのだろうなあ、とそう思う。
山の家をすこしずつ、でも着実に新しい風を招き入れつつ、まずは、街での仕事を滞ることなく進めていこう。夏にはHopi Prophecyとビデオカメラを携えて、ヨーロッパを巡ってきます。