ポーランドの古都クラクフからバスで約1時間半、オシフェンチムという農村地帯に、第二次世界大戦中、最も多くのユダヤ人を虐殺したことで知られているアウシュビッツ強制収容所はあった。ビルケナウ強制収容所とは3キロの距離があり、収容所としては最大級のビルケナウはアウシュビッツ第2収容所とされている。
昨年冬、日本を出国し2021年まで世界を巡礼される日本山妙法寺池田寛信上人とはワルシャワで、そして、日本から飛んで来られた古代フラの舞手である肥田亜裕美さんとクラクフで合流。3人での訪問となった。
予約しておいた12:15英語ガイド料は入場料付きで50pln (ズロチ)は約1500円。アウシュビッツ+ビルケナウ合わせて3時間ほどの行程。夏休暇シーズンということもあるだろうが、想像以上の見学者の多さにまず驚く!
入口の建物も当時のものと思われる古さで、売店があり、軽食、飲み物も販売されていたが、え?!ここで食べる気持ちにはなれない。日本語の書籍や、日本人で唯一の公式ガイド中谷剛さん翻訳による案内書も販売されていた。
この日、中谷さんは日本からの国会議員を迎えており、残念ながら、ガイドしていただくことは叶わなかった。もし、国会議員の一行と会えたら、混ぜてもらえないか、絶対に頼んでみようと思ってたのにな。
見学には、A4サイズほどの手荷物しか持って入れず、簡素な荷物預かり所で、4ズロチ(約120円)を支払い預けた。「このバッグをこっちのバッグに押し込みなよ。そうすれば一個の料金で済むからさ」と普段着の係員。
ここに来るまでに、とても複雑なポーランドの歴史に欠かせないユダヤとの関係を、ほんの一端ではあるけれどMagdaから聞いていた。
ヒットラーがドイツ帝国の総統となり、それ以来、ユダヤ人の迫害が始まるが、難を逃れて出国を望むユダヤ人を受け入れたのは、ヨーロッパで唯一ポーランドだけだったという。
それ故に、ユダヤ人を匿ったポーランド人も多くホロコーストの犠牲となった。ユダヤ人、ポーランド人、ロマ(ジプシー)、反体制的活動家、捕虜、障害者、高齢者、妊婦、子ども、同性愛者、その数は600万人にも及ぶ。まったく想像を超えた数だ。
大学時代に教授に薦められて『夜と霧』を読んだ。その教授はシベリア抑留経験者。ある夏休み、シベリア抑留時代の戦友を訪問された教授にお供したことがあった。抑留の経験をよく学生に話され、人間の尊厳について、教授ご自身も繰り返し思索を深めておられたのではないかと思う。
中学時代に読んだ五味川純平『人間の條件』の最後の情景は今も忘れられず、思い出すと胸を打たれる。そんなこともあるのか、ひょうひょうとした風情の柏原教授の話には、とても惹かれるものがあった。
さて、さて、ポーランド訪問するなら、アウシュビッツにはぜひ、と思ってはいたものの、本当にその場に立てるのだろうか、と何度も自分に聞いてみた上での訪問だった。
私一人では叶わなかったかもしれない。池田上人、あゆみさんが一緒だったからこそ、長年、心の何処かにあったアウシュビッツに来ることができたんだなあ、と感謝。
あの森林地帯を切り拓いた大地の上、それでも、一歩収容所の外に出れば、大自然と人の素朴な暮らしの営みがあったはず。ひと連なりの大地、境界線のない同じ空の下で、狂気としか思えない非日常の世界が日常となったこの現実を、どう受け取ったらよいのだろう。
広大なビルケナウの収容所跡で、稲光とぽつぽつと降り出した雨に急ぎ足になりながら、バラックの脇の草むらから飛び立つ小鳥の姿を、思わず目で追った。
暑い暑い陽射しと、どんどん重くなる足取りの見学は、かき曇った雲からの浄化の大雨でびしょ濡れとなって終わったのでした。
見学日2018年7月30日
8月5日ベルリン→バルセロナ飛行機内にて。